ゾクチェン・チョーリン・リンポチェ
Dzogchen Chokling Rinpoche
チョーリン・リンポチェ(ゾクチェン・チョーリン・リンポチェ)は、2007年現在39歳です。ゾクチェン・シュリー・スィンハ大学の現副理事長であり、シュリー・シュリー・スィンハ付属の「徳慶の慈悲の病院」の医院長でもあります。
グル・リンポチェの五大テルトン(埋蔵経を発掘者)の1人チョーギュル・リンパの転生者(トゥルク)として認定されています。北京語にご堪能です。
パトゥル・リンポチェとは小僧時代から親交のある兄弟弟子にあたります。
チョーリン・リンポチェは1968年にカム地区のゾクチェン谷(ゾクチェン寺があることでそう呼ばれている)で生まれました。
誕生前から多くの吉兆があり、誕生と共に、ペマ・カルザン・リンポチェ(ゾクチェン谷では法王と呼ばれ、広く尊敬されているリンポチェ)により、グル・リンポチェの五大テルトン(埋蔵経を発掘者)の1人チョーギュル・リンパの転生者(トゥルク)として認定され、年少期から、ペマ・カルザン・リンポチェに一心に育成されました。
1979年、11歳の時に、中国の政策が軟化し、お寺の活動が再び認められる中、正式に得度を受け、ただの小僧の一人としてゾクチェン寺に入りました。そして、チョーリン・リンポチェは28歳になった時、ペマ・カルザン・リンポチェから重要な法要の開催を任されるようになりました。
ニンマ派、カギュ派、サキャ派、ゲルク派の各教派の30人にも及ぶ高僧に師事し、インドの十三の論書、五経等、数え切れないほどの顕密の教えを学ばれました。またチベット医学、天文学、詩歌など十数課程も学ばれました。
シュリー・スィンハ仏教大学を卒業後、甘孜(カンゼ)州のチベットの病院に派遣され、2年間、チベット医学の大家に師事しました。 また同時に、甘孜州でチベット文字の定期刊行物「貢カツ山」の編集主幹を務め、読者からの高い評価を受け、20数年間で最高の発行部数を記録しました 。
1995年には、チベットの民族文化を救うべく、無料で学べるチベット語の夜間学校を開校し、自ら3年間教壇に立って授業を行いました。
1998年から、チベット、中国、香港、オーストリアなど各地で法輪を回すようになりました。
リンポチェのスタイルは弟子達に灌頂を与えるだけではなく、数多くの法を解説してくださいます。
過去に説かれたのは、「菩薩の37頌」「入菩薩行論」「ロンチェン・ニンティクの内なる前行」「金剛乗の解説」「ゾクチェンの修行階梯」「チベット医学の解説」などがあります。
2001年の初め、ゾクチェン村が辺境の地で、そこに暮らすチベット族の生活が貧しく、医者・薬が不足しているため、「ゾクチェンのシュリー・センハの徳慶の慈悲病院」の建造に大きく関わり、優れたチベット医師でもあるリンポチェ自身が医院長を勤めております。
2002年には、ゾクチェン寺の六大持法金座の1つを委任されました。またペマ・カルザン・リンポチェやその他のリンポチェの方々からゾクチェン・シュリー・センハ仏教大学の副学長の重職を委任されました。
2005年2月に我々はチョーリン・リンポチェに香港に感激的な出会えをしています。当サイトに香港レポートもアップしていますので、ご興味がありましたら、 レポート① レポート②にクリックしてください。