ケンポ・トゥブテン・ロドゥ・ニイマ
Khenpo Tubten Lodro Nyima
現在、ベルギーでパトゥル・リンポチェの補佐を務めています。 北東チベットにあるアムド地区に遊牧民の家族で生まれ、2007 年現在34歳です。
幼少時代、父から読み書きを学びました。成長する彼は輪廻に対する悲しさを覚え、強い出離の心を持つ。そしてやがて、仏法について関心が高まってきました。15 歳の時に、サムエー寺まで行き、僧侶の戒律を授かった後、一旦家族の基へ戻られました。16歳時に、強い発心をし、ダルマを求めてゾクチェン寺のシュ リー・スィンハ仏教大学(正式名称:ゾクチェン・シュリー・スィンハ五明仏学院)に入って、15年間に渡り、顕密の教えの他、10種類の伝統科目を学びま した。当時、彼の教師はケンチェン・ぺマ・ツェワン、ケンチェン・ダウェ・オゼル、そして、ケンチェン・ツェリン・ニイマの方々です。また、ドゥクパ・リ ンポチェ、そして、キェブジェ・ペマ・カルザン・リンポチェから、彼は灌頂とその指導が授かり、アチュン・トグテン・リンポチェからは心の本性が直接導か れました。
※結局、この当時、長老世代の多くの優れた成就者がご存命で、シュリー・スィンハ大学、ゾクチェン寺で、パトゥル・リンポチェや、そのほかの若い世代のリンポチェらを直接指導されました。ケンポ・チュガによれば「彼が誰よりも一生懸命勉強していたことを私は知っている」と評しています。
卒 業と同時に、彼はケンポ(仏教博士)の資格を習得し、故郷アムドの小さな寺に入りました。そこは僧が彼以外おらず、 在家修行者 と在家信者に教えを説いていました。 学ぶ人がだんだん多くなり 25 人くらいになりました。しかしアムドでは、まだゾクチェンほど信仰の自由がなく、中国政府から信者を 15 人まで減らすように強要されました。法律では、ケンポが主催する寺は何人までという制限があるからです。
しかしケンポは誰に対しても出ていくように言うことができず、しかたなく自分が去ることに決め、その後亡命されました。
2007年10月に東京ゾクチェンセンターの招待に答え、来日され、仏教基層コースを1ヵ月にわたって、行ってくださいました。コースの詳細はここでご覧 できます。