ゾクチェン谷のザンド・パァリ寺
The Zangdok Palri Institute's Central building
サンド・パァリ大学は東カムに5000平方キロにわたって広がるエリアに1万人の貧しい農民と遊牧民のために、文化と教育センターとして考えられています。今までに基本的な読み書き能力をつけるつことができなかったゾクチェンエリアに住んでいる方々のために完成した形の教育を与える予定です。
大学の目的は
- 勉強するよい環境を整え、知識へのアクセスを簡単にすること;
ー チベット文化の遺産となる古代の智慧の伝統、人間の宝を保存すること;
ー 東洋と西洋の生徒、学者、研究者の間に架け橋になり、交流、会話交換の機会を与えることである。
a message about the Zangdok Palri Institute in dzogchen
宝のごとき須弥山は、高い境地の魂から、「グル・リンポチェの浄土」=「サンド・パァリ」として認識されている。浄土を見ることは幸福であり、完璧な大楽である原初の智慧を見るということである。浄土では争いや偏見がなく、暴力や迷信が入り込む余地がない。それは優しい心に溢れている素晴らしき場所、そこの生き物たちはお互いを愛し合っている。もちろん、それは地図上にある場所ではなく、心の中にしか見付けられない。私たちが認識するすべては、私たちの心の観念から顕れる。このような素晴らしい認識ができるように、私たちは勉強し、法を修行し、二つの蓄積を集めるのである。
私は現在、サンド・パァリの浄土のようなサンド・パァリ大学を、チベットのゾクチェン谷に建設することを祈願しています。そして、その企画にお布施を通して、あるいは見る事、触る事、それについて聴く事ことを通して、皆様にグル・リンポチェの浄土をはじめ、浄土そのものの安らぎを認識できるようになって頂きたいです。
今回、このサンド・パァリ大学の企画に取り掛かったきっかけは、それに関連する良き状況が揃っていたからでもあります。まず、大学を建設しようとする場所が特別なのです。
18世紀、ジグメ・リンパが活躍する時代のこと、グル・リンポチェの仏像をリトリートセンター(ペマ・タン)に移動させる途上で、今大学の建設現場になっている場所で、運んでいる人達が一休みしようと思い、仏像を地面の上に置きました。すると、すぐにサフランライスの雨が降り始めました。運んでいた人達は、これが、当時ラサの近くに住んでいたジグメ・リンパ、もしくはグル・リンポチェそのものの祝福に違いないと強い確認を持ちました。このような逸話から、その地は、いつしかゾクチェン谷の人々から『カルモ・ヨンチル』と呼ばれるようになりました。
なお、この逸話には続きがあります。
その仏像がリトリート・センターに設置された直後のこと。その日、お寺の世話人が自分の仕事をしていた時に仏像が彼に声をかけました。「オイ!君!聞けよ!今日は地震が来るよ!皆に外に出るように言いなさい」。その後、ゾクチェン谷に地震が襲った時に、住民が一人も死なず、傷をした者もいませんでした。
この場『カルモ・ヨンチル』に関連する素晴らしき印は、その他にもあります。2004年の夏、ペナク・リンポチェ(キャブジェ・ペナク・オントゥル・リンポチェ)が、ゾクチェン谷でイェシェ・ラマの教え(※テクチューの教えとも言われています。)を25人のトゥルクとケンポにお説きになられた後、参加者は自発的に建設中のサンド・パァリ大学の敷地に移動し、プージャに集いました。祈りを捧げている最中に、突然、私たちの頭の上に太陽と月と星とが同時に現れました。
最初、サンド・パァリ大学の建設はゾクチェン寺の敷地内に建設することに決まっていました。ところがゾクチェン寺の座主ペマ・カルザン法王の心の中に、現在の位置が自ずから顕れました。彼はその建設を、私、パトゥルに委託して、二百年前にグル・リンポチェの仏像が奇跡を起こした『カルモ・ヨンチル』の場所に建設するよう指示を出されました。
最初、その指示を受けるかどうか、私は、正直迷いました。しかしザ・パトゥル・リンポチェ(一世)は、ジグメ・リンパの身・口・意の口の化身と言われています。
私は今生、パトゥル・リンポチェのトゥルクとして認定を受けました。それはジグメ・リンパとの何らかの縁を表すのかもしれません。それであればジグメ・リンパの祝福が降り注ぐ、『カルモ・ヨンチル』の場所に、大学を建設することには、特別な機縁があるかもしれないと思い、建設することを決心しました。
これは極めて重要な企画です。この大学が建設されている最中、現在皆様にこの企画へのお布施を通しての参加を呼びかけています。このような参加によりこの企画、そして、この企画が象徴するすべての良き縁を結ぶことになると私は信じています。